死。

2002年9月24日
今日、大おばあちゃんが亡くなりました。
95歳の大往生です。
明治生まれで、玄孫(やしゃご/孫の子供)までいるスゴイ人。

2回結婚して、5人の子供を産んで、戦争中も子供を守って、保育園を創設して、そこの園長やって、いろんな賞をもらって、そしてたくさんの子孫を残していった人。

小学校くらいまでは、
尊敬する人は?と聞かれたら、
「大おばあちゃんです」
って答えようと思ってた。


数年前から痴呆にかかって、もう私たちのこともわからなくなってたけど。
それでも死顔は驚くほど安らかで、精一杯生きたんだと、素直に感動した。

でも、触ったほっぺたはとても冷たくて、当たり前だけど、どこを触っても脈がなくて、ピクリとも動かなくて。
涙は出なかった。
これが「死」だと思った。


だけど、おばあちゃん(亡くなった人の子供)に会ってしゃべってたら、
「もう病院で泣きつくしたから」
って言いながらまた涙がにじんでくるのを見て、私まで泣きそうになった。
普段は「早くしないと子供の方が先に死んでしまう」って言ってたのに。

でも、立派に生きて天寿をまっとうしたんだよ・・・って、みんなは言ってた。
私も、こんなふうに生きたい。





・・・で。
今日は近所のおばちゃん(同じく亡くなった人の娘)の家で簡単な身内が集まって、イロイロしゃべってた。
そしたらすでにお酒を飲んでいたおじいちゃんとおじちゃんに、お母さん、親戚のお兄ちゃん(おじさん)まで飲み出して、なぜか私もチューハイを飲んでて(爆


はい。宴会のようになりました。
オツマミもいろいろ。
みんなかなり出来上がってて、イロイロ語られました。
私もチューハイを一本近く飲んだところでだいぶ酔いが回ってきて、みんなに止められました。
でも普段は無口なおじちゃんが、かなりしゃべってたし、面白かったです。
自分も酒飲んでたし、大人の会話の中に入れて一緒に盛り上がれたのはちょっと嬉しかったかな。


でね。おじちゃんの語った内容の中にちょっといいのがありまして。


失敗とかしたときに、周りが笑ってくれたり、何かしゃべってくれるのは、実はとてもいいことだ。
自分が中心になっていて、みんなが自分のこと気にかけてくれているってことだから。
何も言ってくれないのはとても悲しいぞ。
だから失敗しても、みんなが気にかけてくれているなら大丈夫。
失敗とかしやな、人生なんて面白くないやろう。


・・・みたいな内容。
ちょっと感動。
いいなー、こういう考え方。
盲点だった。





帰りは歩いて5分の道だったけど、さすがに12時だったもんで、そのお兄ちゃんが送ってくれました。

しゃべっていて思った。
女の子って・・・こんな感じでいいのかな。
だったら、思ってるよりも簡単かもしれない。


 

※ごめんなさい・・・。
最近SSSサボってます・・・。

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